精神科医療の現状と問題点

精神科医療の現状と問題点

精神医学のかかえる大きな問題点について検討し、これからの医療のあるべきす姿を考察します。

精神医学は本当に正しくて科学的なのか

催眠

精神科医として大きな病院で臨床診療に携わる真摯な精神科医の医師に質問をして、精神医学の診断について問えば、精神医学の診断とは、状態を指しているものであり、治療とは、正常ではない状態を正常の範囲まで戻すことであり、その手段としてのひとつが薬物医療である。といった回答が返ってきます。


非常に重度の精神疾患の患者様に対する閉鎖病棟への強制入院などの事例について、その見解を問いますと、精神病院に入院する患者には社会の恥部と呼ぶべき存在が含まれ、これを精神科医が薬物により押さえ込んでおくことで社会を混乱と暴力から防衛している。という答えが戻ってきます。殺人や犯罪とつながるような、きわめて重度な精神疾患に関しては、このような見解があるのは無理もないのかもしれません。


しかしながら、その一方で、一部の精神科医の開業医の中には、保険診療の仕組みを漫然と利用し、患者のためというよりはむしろ、儲けのために、不必要な薬物を十年以上も投与している医者が存在している。といった問題があるのも事実かもしれません。そういった趣旨の本も今では多数出版され、中には精神科医自身が書いている本もあるほどです。真摯な精神科医の先生にいわせると、うつ病や双極性障害には自然寛解するものも多く、うつ病では半数が三ヶ月以内に治るし、受診した患者もプラセボ偽薬でも二ヶ月以内に治る。とおっっしゃいます。


そのため、真摯な精神科医は、患者に薬は不必要には使わないそうです。精神科に入学しても卒業させる、いや、患者が勝手に卒業していくのであると、いっています。しかしながら、「がっつり治療を必要とする患者」は存在しているのも事実で、そういう人に薬物治療をしないと、自殺する確率が高くなるし、殺人事件をおこし、社会を混乱させるのでしかたないともいっています。


このあたりの患者の鑑別や振り分けについて、一般の人にはわかりにくいため、まるで、精神科医が人権を無視しているかのように写る場合もあるかもしれません。それもこれも、そもそも、精神科医の診断とは、科学的とはいいがたい診断基準をもとに、「よくわからないけど、このカテゴリーに入れておこう」というものであり、同じ患者を別の精神科医が診断すれば、病名も変わってくるほど、科学的ではないためです。


そこで、ほんとうに優れた精神科医は、患者の訴えから、患者の防衛機転や中核信念を洗い出し、本質的なアプローチをすることを第一としているのです。しかしながら、それを実践できている精神科医は、きわめて少数に限られています。「正常ではない状態」というカテゴリーの設定が果たして正しいのか、という主張も成り立ちます。むしろ、それは正常ではない状態などではなく、抱える問題と向き合い、乗り越えていくことで、解決するのではないか、反応様式や受け取り方のゆがみを適正化させることが本質なのではないか、という見方です。


発達障害のような疾患も、ごく一部の重度のケースをのぞいては、薬物は必要なく、それは、ひとつの個性であり、個性を認め伸ばす、能力を理解し適材適所に導けるようにすることが本質的なケアなのかもしれません。精神医学の中には、「正常ではない心は薬でコントロールして無害化する」という基本概念があるようです。人間の心を薬で押さえつける発想を捨てて、認知の歪みを解消して、その人の思考や感情の習慣を変えるようないわゆる心理療法の発展こそが、本来の道ではなかろうかと思います。


漢方やハーブのような気分を落ち着かせる薬と、向精神薬ではその副作用や、思考能力を奪う悪影響などにおいて、天地雲泥の差があることからも、数千年の歴史を経た漢方やハーブと、向精神薬ではまったく危険性が違います。過度に薬物を妄信している場合、患者様を救うのではなく、向精神薬漬けにして、自立を奪い、福祉のお世話にならせてしまうだけで、問題を何も解決できないかもしれません。


このような「心を向精神薬でコントロールする」のが最善であるとする考え方がある限り、こうした事態も防げないかもしれません。もし、薬が第一ではなく、むしろ心理療法が第一であり、向精神薬は重度の難治患者様だけに注意深く適正に使うものであるとする、基本姿勢があれば、より本質的な社会の改善につながる可能性もあるかもしれません。


そもそも統計的にいっても、薬物治療のほうが自殺を予防しているというデータは存在しておらず、むしろ、未治療のほうがまだ自殺率が若干少ないというのが、世界的な見解です。統計は解釈がむずかしいところもあります。しかし、もしそれが真実とすれば、「自殺防止のための治療」の大義名分が成り立ちません。さらに自傷他害といいますが、その他害のほうにも大きな問題があります。


精神医学のおかげで、「凶悪犯罪を犯しても罪に問われない」ケースがあります。被害者は泣き寝入りしている問題があります。この犯罪の発生率も果たして、薬漬けにすることで低く抑えているのか、それとも、薬漬けにしたために、いつか何かの拍子に薬がきれて錯乱したり、殺人を犯したりしている可能性も否定できません。犯罪発生率がほんとうに抑えられているか、本当のところはわかりません。


向精神薬の長期服用の結果の薬物中毒死が増えているという問題を指摘する専門家もいます。向精神薬の作用の仕組みについては、研究は進んでいるものの、いまだに詳細がわかっていない部分も多いのです。統合失調症もかなりの割合で自然治癒するとのデータも出されています。未治療でも一定の割合で治っているというデータもあります。もちろん、しっかりとした薬物治療を受けたほうがよい重度の患者様も存在することも事実です。


一部の医療関係者の中に、今の精神医学は、適当のうえに適当をかさねた、まったく非科学的なものであり、しかも向精神薬にいたってはその作用機序もまた、仮想のうえに仮想をかさねた、まったくいいかげんなものだと批判する人々がいるのも、こうした背景があるためだと考えられます。そして精神科医でなくても、カウンセラーや心理療法家のほうが、精神科医よりもよほど、患者のためになり、救いになっているケースも実際にみかけます。その一方で、真摯に診療活動をしておられる素晴らしい精神科医の先生もいらっしゃいます。私の友人にも、まさにそのようなすばらしい、精神科ドクターがたくさんいます。


現在、精神科の受診者数はうなぎのぼりです。国をあげて、精神科通院を推奨する政策をしています。自治体でもパンフをくばって、受診をすすめています。それが何を招いているかです。早めの受診により救われる人も確かにいるでしょう。その一方では、医療費も福祉費も高騰するかもしれませんし、もしかすると、受診母数が増えれば増えるほど、不必要な向精神薬漬けになる不幸なケースも増えるかもしれません。


こうしたさまざまな矛盾を解決し、社会制度を改善していくためには、モラルのある真摯な精神科医の先生達のご活動に期待するしかないかもしれません。

セラピー
久保征章の著書