魂の法則を悟り、被害者意識を克服する

魂の法則を悟り、被害者意識を克服する

何でも相手だけに原因があるとすれば、そこに本人の自由意志と創造性が働く余地がなくなり、何でも外界にふりまわされる自分しか残りません。それは自分を無力な存在であると規定することになります。

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家族、兄弟姉妹などの身近な人から理不尽な仕打ちをされると、被害を受けた人の意識の中には、怒りと無力感が残ります。「私が何をしたというのですか?」と言いたくなるのも無理もないこと。これは、現実的な世界から見れば、相手が百パーセント悪いのかもしれません。そこに立脚するならば、あなたは被害者です。それはそうなのですが、そこでとまっていると、人生を自由に創造できません。何でも相手だけに原因があるとすれば、そこに本人の自由意志と創造性が働く余地がなくなり、何でも外界にふりまわされる自分しか残りません。それは自分を無力な存在であると規定することになります。その思考のままに、不自由な、流される人生が引き寄せられます。しかし、すべての理不尽な苦難も、実は、因果応報によって自分にふりかかったものであり、自分が過去世でのカルマの負債をあがなったのだと悟ることもできます。そのとき、悪因悪果から自由になる生き方を開始するチャンスがめぐってきます。

 

すべては因果応報だと見破る

この受け止め方であれば、今度は、未来を変えるために、行動する意味が出てきます。被害者意識から脱却すれば、運命をみずから創造できるのです。善因を積んで善果を創造できる主体的な人生がそこから始まるのです。善因善果のほうに意識をむけることこそ、未来を変える道です。過去の悲惨な体験によって、前進することができなくなっている人は、一刻も早く、そこから脱却するほうが良いです。なぜなら、歳を重ねることで、描ける未来に制限がかかるからです。あと十年もすれば、現時点より、描ける未来に制限がかかります。それゆえに今、最大限の良き可能性を引き寄せるため、苦難にたちむかっていくほうが良いです。前世療法をそのために役立てることができます。

 

未来にどんな種をまくかは、自分が選択している

人は想念したとおりの人間になります。自分が日々引き寄せているものも、自分が過去に思ったものです。自分の想念が先にあって、それから、現実が変化していきます。「思うどおりに人生が改善しない」という人がいたら、その人は、「思い通りにならない」という人生を自分で選択しているだけです。そのように考えることを選択したから、そのとおりの結果を受けとっているだけです。すべて自分が「そのように考えること」を選択しているのです。自分で選ぶから、思考のとおりの未来が引き寄せられます。この部分が理解できない人が多いですが、もっとも重要なことです。例えば、日記に、その日に体験した嫌な出来事を書くと、それを意識にフォーカスしている作業となります。すると、後日、同類の別の嫌な出来事が起きてくる可能性が高まります。今の自分がものごとをどのように考えるか、それによって未来が変化するのです。日記で、気づき、できたこと、感謝できることを書くと、後日、再び同じような素敵なことに巡りあうでしょう。嫌な出来事も、受け取り方を工夫することで、最後にプラスで終わるように表現できます。良くなるように思考すると良くなります。悪くなるように思考すると悪くなります。ここがとても重要です。自分が信じた結果が引き寄せられただけです。あなたの思いが実現しただけです。

 

自分で結果を引き寄せている

自然になったのではないのです。誰かにされたのではないのです。「そうなる」と確信しているので、そうなるのです。たとえば「不愉快になるという選択」をあなたがしているのです。あなたはその選択をしないこともできたのです。これがわからないと運命の創造主になれません。自分が選択し、思考する内容が先にあるのです。それを変えないと、現実も未来も変わりません。ほとんどの思考内容は、過去にしばられたものであり、思い込みに過ぎません。思い込みに過ぎないものを大事に抱えることをやめて、「自分がこうありたい、こうなったら幸せだ」と考えることを「そうなる」と思い込むようにしていくのです。自分が変わると環境が変わります。環境が自分を支配するのではありません。自分が環境を支配できるのです。自分の信念つまり確信している想念が結果を決めるのです。環境があなたを不愉快にするのではなくて、あなたが「不愉快になることを選択した」のです。そのように選択をしないと決めるだけで良いのです。これがわかれば、性格や癖の改善の方法もわかります。その反対のことを信じるようにするといいのです。つまり、問題点に気がついたのであれば、その正反対を自分に宣言する努力をすることです。「自分に自信が持てない」という問題点があるなら、「人の意見に左右されずに自分の信念をつらぬくことができるようになる」と、自分に言い聞かせ、そうなる努力を心がけていくのです。

 

運命を変える方法〜あなたは今、何のためにここにいるのか?

人間は何のために生まれてくるのでしょうか。前世療法の視点から申し上げるならば、それは、魂を磨くためです。霊性向上のためといっても良いです。あなたは今、何のためにここにいるのか?その答えの一つが「魂を磨くため」です。その魂の磨き方には、二通りあります。一つは学問を積み、才能を磨き、能力を高める精進努力を行うこと、つまり自分を素晴らしくすることです。もうひとつは、愛の実践、利他の行為、人類救済、慈善活動、つまり他者を素晴らしくすることです。言いかえれば自分を愛することと他人を愛することです。この二つが両立しなければならないのです。自殺すれば、それはこの努力を放棄することになります。当然、来世の宿題はさらに増えます。自殺のような形で死ぬときには、人生に悲観し、絶望し、真っ暗な心で死ぬので、明るい霊界には行けないのです。万人共通の生まれてきた目的は「魂を磨くこと」であり、それは進歩向上することと言い換えて良いです。磨く努力をせずに逃げ出してばかりいるなら、人生の本義がまっとうできません。改善や向上を目指すことをせず、ものごとを途中で投げ出すことを「中途挫折」といいます。人生の中で、中途挫折ばかり繰り返すと、次の生まれ変わりの時に、その部分の矯正をしようと試練の多い人生設計となってしまいます。やればできるのに努力をせず、環境に甘えて努力をしないまま一生を終えると、来世は貧困な国に生まれ、自由度の低い人生となるかもしれません。

 

自分の魂のレベルはどうすればわかるか

魂のレベルは自分の性格の中に備わっている内容でわかるのです。今の自分の状態が自分の魂レベルを表しているのです。ですから、カルマを解消して開運するには、自分の性格を改めるほかないのです。性格とは、生まれてから今日までの日々の自分の心の集大成です。性格を改める道は一つしかありません。自分の日々の心がけと行動を変えるのです。何でも途中で投げ出すことをやめ、やると決めたら、最後までやりぬくことをモットーにすれば、中途挫折の悪癖は消滅させられます。日々の自分の生き方を改め、中途挫折せずに貫くとき、神仏も応援してくれるようになります。運は、精進努力することでしか呼び込めないのです。そして、精進努力とは、「つらぬく努力」です。中途挫折の反対です。「自分が今から人生を再構築して、神仏の御心に叶う生き方をして、世のため人のために役立つ人間になる」と誓って、「そのために意志力を強くして下さい。健康と体力とゆるぎない根性を下さい。やりとげられますように、負けない心にして下さい。」と、繰り返し繰り返し何万回でも祈ることです。精神科の薬を飲んでいる人は、「少しずつ減薬してゼロにできますように」と祈りましょう。

 

邪なカウンセラー、占い師の餌食にならないために

よく目にする、耳にする言葉にこんなものがあります。「自分に素直になればいいよ」「がんばり教をやめたらいいよ」「なんとかしなくちゃ教をやめたらいいよ」「楽しい悪だくみを考えてずるく生きたらいいよ」「怠け者でいいよ」「障害者は何もしなくていいよ」「ありのままでいいよ」「嫌われていいよ」「わがままでいいよ」これらは、栄養学で例えると、塩分過剰の人に塩分ひかえましょうと言ってるようなアドバイスです。世の中には確かに頑張りすぎで無理し過ぎて、うつ病になったり、癌になったり、早死にする人もいます。過労死するサラリーマン、OLもいます。そういう状態になっている人には上記のアドバイスはある程度、意味があります。しかし、塩分を限りなく減らせば健康障害が起き、塩分が欠乏したら人は死にます。上杉謙信が武田信玄に塩を送った故事も、塩が命にかかわるものだからです。塩分は生きる上で必須の栄養素です。「努力すること」「よりよく生きること」は生きる上で必須のテーマです。「がんばらなくていいよ」のアドバイスはとても耳にやさしく、「ああ、癒される〜」と思うのでウケが良いのです。これは使用方法を誤れば、麻薬です。あなたは、人間は何のために生まれてきているかご存じだと思います。人間は魂を磨くために生まれているのです。万能、多芸多才、完全円満な人格をめざしているのです。その道において、「精進努力」「チャレンジ」「脱皮」「進化」「飛躍」ということは不可欠です。また、我がままや、ありのままを追及し過ぎれば、完全円満な人格と程遠い歪んだ個性の人が出来上がります。そこには協調性もマネジメント能力もないので、人々と力をあわせて良き事を地上に行うこともできません。高級霊は、協調性があり人々と団結でき、人々から尊敬されうる人格です。悪い女王様のように、わがまま放題とか、「ありの〜ままに〜」と、自由奔放だけで生きているような人は守護霊にはいません。つまり、そういう人は高い天国界に上がれないのです。この世においてまったく自分を磨かず、能力を伸ばさず、安逸に生きたら、「魂を磨かなかった罪」を犯すことになります。

 

この世に生まれた以上、進歩向上したいと魂は願っている

自分に適した職につくことは良いことです。親の束縛や伴侶の束縛の弊害から逃れるのも大事です。ところが、これを拡大解釈し過ぎると、道を誤ります。「障害者は何もできないんだから、何もしなくていい」と主張する人もいますが、これもおかしいのです。障害があっても、生まれて来たら、その人なりに進歩向上し、魂を磨くことが、そもそもの生まれてきた目的です。たとえダウン症などでも、その人なりに必ず学んだり向上ができるのです。もちろん自閉症や発達障害などもまったく同じです。一つでも、できなかったことができるようになれば進歩です。ゆっくりでも一つずつでも成長し、進歩するために人は生まれてきたのです。周囲の人間もそれを理解した上で、適切に、サポートしてその人を育てていく必要があります。

 

指示待ち人間になる邪道から身を引き離そう

次に、スピリチュアルカウンセラー、チャネラー、霊的ヒーリング、サイキック、量子場の霊視をするなどという者。占い師。これらがなぜ問題か。そもそも、霊的なものが常時見えるとか感じるとか聞こえる状態は人間にとっては不自然な状態です。ですから、ほんとうの守護霊や神仏が日常生活の中で夢のお告げやメッセージをしたり、耳元でささやいたり、ビジョンを見せたり、という不思議なことは絶対にしません。お告げやメッセージの問題点は、人を指示待ち人間にして主体性を損なう危険性があることです。霊言やお告げが当たると人はびくっとします。過去を当てられた、未来を予言されてそれが当たったなど。「三日前にひどい夫婦喧嘩したでしょう」「一週間以内に自動車の事故にあうよ」これが当たると何かすごい超能力者先生と思ってしまうのです。そして、その先生の何でも言いなりになっていきます。コロッと心酔してしまうのです。簡易な病気治しも、陳腐な予言や霊視も、邪霊能力にすぎない低レベルなものです。邪霊は、決して、ほんとうに先の先まで見通して、本人の魂の成長のために適切なアドバイスをしているわけではないのです。ただ、人を驚かせ、従わせたいだけです。このような存在に魅入られると、最終的には魂を食らわれるのです。関わることは、非常に危険です。霊的ヒーリングの類も無数にありますが、やればやるほど、邪霊とつながるので、やめておくことです。
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久保征章の著書