白隠禅師とは

白隠禅師とは、白隠慧鶴(はくいん えかく)のことです。
白隠禅師(1686年-1769年)は江戸中期の禅僧です。
臨済宗中興の祖と呼ばれています。


今でも臨済宗では、白隠禅師の著した「坐禅和讃」を坐禅の折に読誦しています。
白隠禅師は駿河国に生まれ、15歳で出家して
24歳の時に鐘の音を聞いて悟りを開きました。
その後も「悟後の修行」を続け、多数の著書や書画を残しています。


白隠禅師は、内観法によって禅病より回復し、信濃の正受老人の指導を受け、
悟りを完成させました。禅を行うと起こる禅病を治す治療法を考案し、
若い修行僧を多数救いました。


「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」といわれ
現在の臨済宗十四派は全て白隠禅師を中興としています。


白隠禅師は、悟後の修行により生涯に三六回の悟りを開いています。
これまでの語録を再編して「隻手音声」「趙州無字」の問いを、公案の第一に位置づけました。


白隠禅師は「菩提心」(「悟りと衆生救済」を強く願う心)の無き修行者は
「魔道に落ちる」と書き残しています。
その言葉を守り、生涯、四弘誓願を貫いて民衆教化に尽くしました。
四弘誓願とはすべての菩薩に共通する四つの願いです。


一)衆生無辺誓願度(世に生をうけたものは一人残らず救う)
二)煩悩無量誓願断(煩悩のすべてを断ち切る)
三)法門無尽誓願知(仏の教えのすべてを知る)
四)無上仏道誓願成(この上ない悟りに必ず到達する)


また、白隠禅師は、「正念相続」という教えを残しています。
正しい念を継続して保つことが、悟りにいたる道であるとしたのです。
禅は、精神医学の中の心理療法にも取り入れられて、その観念として、
マインドフルネスという言葉が普及してきました。


マインドフルネスの状態というのは、まさに白隠禅師が説いた正念相続の状態と
同じものと考えてよいものです。白隠禅師の教えは、心理療法にも通じるものであり、
実際に、白隠禅師は禅病と呼ばれる一種のメンタルの不調を治すための方法をまとめ、
これによってたくさんの禅僧を救っています。


白隠禅師座禅和讃は、現在の臨済宗では「坐禅和讃」を坐禅の折に読誦されているとおり、
臨済宗の禅の中核となる教えです。


「衆生本来仏なり 水と氷の如くにて
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし」


という言葉が有名です。また、
「六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり」
と、愚痴をいうことが、いかによくないことか教えています。


「延命十句観音経霊験記」も白隠禅師の著書にありますが、この書の中で、
白隠禅師は、延命十句観音経を唱えることを提唱しています。
「延命十句観音経霊験記」に、このお経を唱えることで様々な奇跡のごとき霊験があると
書き残して信心を薦めています。


延命十句観音経はたいへん短く、覚えやすいお経ですが、このような言葉を繰り返し唱えることで、
精神統一を進めて雑念や邪念を取り除くということです。


【延命十句観音経】

観世音南無佛   
かんぜおんなーむーぶつ    

与佛有因与佛有縁 
よーぶつうーいんよーぶつうーえん 

佛法僧縁常楽我浄 
ぶっぽうそうえんじょうらくがーじょう

朝念観世音暮念観世音
ちょうねんかんぜーおんぼーねんかんぜーおん

念念従心起念念不離心
ねんねんじゅうしんきーねんねんふーりーしん


このような言葉には、想念をすがすがしくする単語や表現がちりばめられており、
繰り返し唱えると、それは暗示となり、想念をプラスの方向に誘導してくれるのです。


こうした想念の誘導は一種の自己暗示ともいえる方法ですが、お題目を唱えたり、
念仏を唱えたり、真言を唱えたりするのも、基本的には同じ原理です。


その言葉がもつ意味が肯定的でポジティブであればあるほど、
その暗示が潜在意識に与える肯定的影響が強くでるのです。


延命十句観音経を唱えることによって、奇跡とも呼ぶべき運命の好転化現象が次々に起きたのも、
潜在意識にプラスの暗示として、経文の言葉が働きかけたからであると考えてよいでしょう。
その意味でも、現在の自己暗示を使った心理療法や、
潜在意識の仕組みを活用した自己啓発法などに通じるすばらしい方法論であったのかもしれません。

セラピー
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