四書五経とは〜伝統が生み出した一種の心理療法

催眠

「四書五経(ししょごきょう)」は、「論語」、「大学」、「中庸」、「孟子」の四書と、「易経」、「詩経」、「書経」、「礼記」、「春秋」の五経のことです。


四書五経は古代中国大陸に栄えた周の民族が残した古典の書です。周の民族は戦乱の歴史の中で消滅し、現在の中国はその継承者ではありません。奈良時代に日本にこれらが仏教などと同じく伝来すると、豪族、貴族、武士など知識階級が自己啓発のために学び、江戸時代には全国に四書五経などを学ぶ学校が幕府や藩によって設立され、武士の子弟がそこで、四書五経を学んでいました。


日本においては、四書五経の中でも論語、孟子、大学、中庸の四書が重視され、武士の子供は、四書五経の古典を音読し、諳んじていたのです。このような四書五経など古典の普及は、日本に道徳観念を普及し、日本社会を高度な秩序のある社会へと成熟させていきました。明治時代に明治天皇によって発布された「教育勅語」は、こうした四書五経などの道徳思想の集大成の文であったため、諸外国はこれを翻訳して、自分の国でも使うことを試みたといいます。


四書五経によって人が学びとる道徳とは、夫婦は相和し、子は親に従い、親は子を愛で、兄弟姉妹は互いに助け合い、人間関係においては他人の信頼を失うようなことをせず、言動をつつしみ、周囲と調和する生き方です。そして、人としての職業能力を磨いて、社会に有益な人材となり、国に危険な状態や災害や国難が起きたら、社会公共のために進んで奉仕するという、誰からも尊敬されるような美徳ある生きる姿勢を育てるのです。


四書五経の教えを世界中でもっとも実践している国が日本です。江戸時代までの日本は特に四書五経の教えがすばらしいレベルで実践されていました。明治時代でも四書五経の教えがまだ残っていました。「漢文を書き下して読む」という読解の仕方の発明によって、日本人は、四書五経などの漢文の書物をそのまま読んで意味を理解できるようになりました。その結果、明治時代の政治家や軍人などは、もともと出自が武士階級であったこともあり、漢詩をたしなみ、漢文を読むことができたのです。しかし、大東亜戦争で敗戦したことにより、この四書五経の教えの伝統が日本社会から次第に失われていくことになりました。


それは敗戦後の日本を占領したアメリカを中心とする占領軍の仕業であったのです。アメリカは日本を弱体化させるために、日本の道徳性を破壊しようとしました。そこで、四書五経などを教えていた修身の授業を廃止させ、教育勅語も廃止させました。そして、道徳を無視させ、個人の欲望を主に生きる人間を育てるために個人主義を日本社会に蔓延させようとしたのです。そこで家制度を壊し家単位で継承されてきた四書五経などの教えにもとづく道義心を破壊しました。


もともと日本がもっていた「大日本帝国憲法」を廃止させて、アメリカ人が書いた英文を翻訳させた日本国憲法なるものを強要しました(このような行為は国際法で禁止されていました)。日本国憲法はひたすら、個人の権利を重視するものであり、伝統や日本文化を軽視するものでした。アメリカによるウォーギルト・インフォメーション・プログラムという名の日本民族洗脳計画が占領期間の七年間において実施されました。新聞もラジオもすべて検閲され、ひそかに内容を修正させられました。アメリカを正義とし日本を悪とする歴史観を植えつけられたのです。


こうして、日本人から四書五経の伝統は奪われてしまいました。いまや、四書五経を学んでる人はわずかしかおらず若者のほとんどは四書五経を知りません。団塊の世代より後の日本人からは、四書五経の教えはすっかり失われているかのようです。「大学」は、四書五経の中でも特にポイントがまとまった書です。四書五経のエッセンスとも呼べるのが「大学」という古典です。大学の中で説かれているのは、修身斉家治国平天下という教えです。それは天下を治めて平和にするためには、自分の国を正しく治めなければならず、そのためには、自分の家を整えることが大切であり、そのためには、修身が大切であると説いているのです。


修身から始まり、世界の平和や調和にまでつながっているのが、大学の教えている道義心です。修身の道を究めるためには何が大切かといえば、それは「誠(まこと)」であると大学は教えています。このことから、日本では、「誠(まこと)」が重視されるようになりました。もともと日本古来の神道では、「浄、明、正、直」といって、心の清らかさや誠実さを重視していました。そして神道においては、「真心(まごころ)」とされてきたものが、「大学」のいう「誠(まこと)」と同義でした。


このため、大学の教えである「誠」は日本社会に浸透し「誠意」という言葉が生まれました。誠意とは大学でいう「意を誠(まこと)にす」という意味です。それは言い換えれば、「真心を尽くす」ということでもあります。日本社会ではこの感覚が特に重視されました。人をだましたり、陥れるのは最も邪悪な行為であり、死後、地獄に落ちると考えられました。日本で生まれた兵法書に平安末期に大江匡房によってまとめられた「闘戦経」があります。


この「闘戦経」の思想は、中国の「孫子」の兵法のように相手をだまして自分が勝ち残ろうという精神とはまったく違っています。それはひたすら「誠」を追求する中で勝利する道を説いたものなのです。このように日本民族は、正直で誠実で人をあざむかないことを最上の道義心であると考えてきました。四書五経の精神を世界でもっとも体現したのが日本であったということです。


日本では聖徳太子の時代から四書五経の精神を体現していました。それは聖徳太子の残した世界最古の憲法である、「十七条憲法」の中にもすべて現れています。十七条憲法で示されているのはすべて、四書五経の教えに沿ったものとなっているのです。仏教を重視する要素がこれに加味されている程度です。四書五経の中の「易経」の中に、この世でもっともすぐれた国家とは万世一系の帝によって国の秩序が保たれている国であると書かれていますが、この地球上にそんな国が実在するでしょうか。


ただ一国だけ存在しています。それが日本なのです。日本は125代にわたり万世一系の皇室を国の中心として、2675年以上も連綿と継続してきた、世界最古の国としてギネスブックにも認定されています。中国は建国して七十年ほどの若い国ですし、韓国も同様です。アジアにおいても世界にもおいても日本は最古の国であり、道義心ある国であり、その美徳は世界の最先端を進んでいます。日本人の謙譲の美徳などは外国人も驚嘆するものです。そもそも謙譲という観念が存在せず、人に譲るよりも、己が先んじて奪うことばかりを考えている国も多い中、日本人は、道義心のレベルが圧倒的に違っています。


「論語」や「大学」「中庸」「老子」などの古典は、読みこむことで、認知のゆがみを解消してくれます。そこには人類普遍の英知が表現されていて、人としての生き方、偏りのないものの見方を教えてくれるのです。古典には心理療法としての効果があるのです。

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