愛と感謝の祈りが神様を動かす
ニコニコする相手を願うのは慈しみです。苦しむ相手を守ろうとするのは悲しみです。これが愛なのだということを理解して下さい。ところで、神道は「浄、明、正、直」を教えますが、神道の中に、慈悲とか愛念についてのわかりやすい教えが欠落しているために、神道だけ学ぶと、キリスト教的な隣人愛が不足しがちです。本当は神への誠をきわめれば、おのずから仁愛に至るのですが、中途半端に理解すると、愛に欠ける傾向が出ることもあります。聖書では愛のことを以下のように述べています。「コリントの信徒への手紙13章」で、
「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしいどら、 やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。」
と、愛のない霊能力者や占い師や宗教家を批判しています。そのうえで、愛について以下のように定義しているのです。「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」このように愛について具体的に説いたうえで、以下のように結んでいます。
「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」
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