叶わない、叶わないと嘆く前に
想念、セルフイメージを入れ変える努力は理想実現の基本ですが、これに加えて以下の行動を行うと開運が加速します。一つは環境の変化を生み出すこと。悪い縁を切り、良い縁を新しく求めてつながっていく努力をします。住む場所を変えるのも一つですし、職場や友達を変えるのも一つです。新しいものをどんどんつかみにいくことで早く運が変わります。次は、善因善果、悪因悪果の法則にもとづき、善因をつくっていきます。「人を助ける」「人のために行動する」「人に親切にする」などの愛や慈悲にもとづく言葉と行動を積み重ねます。それが自分の幸福になって戻ってくるのです。戻ってくるまでにはタイムラグがありますので、過度の期待はせずに積み重ねていきましょう。逆の行為をしないように気をつけていきます。このように日々を生きていると、マイナス循環からプラス循環に、運命のサイクルが入れ替わります。普通は一定の時間がかかりますが、いっそう変化を早められる方法もあります。
「叩けよさらば開かれん」と、キリスト教でも教えています。それがひたすら祈る事、努力する事、望む事。それでも叶わぬのは祈りが足らぬから、努力が足りぬから、望み切れてないから、方向が違うから、あるいは、ただ試されているからなのでしょうか?
【回答】
それだけではありません。誰にでも、前世の負債というものがあります。そのマイナスのカルマがある程度、清算されないと、運勢は開きません。うまくいかない現状がある場合の多くは、まだ相当な前世の借金があるということです。前世で他人を傷つけ、苦しめたゆえに、そのあがないを今、受けているのかもしれません。この前世の借金は代わりに誰かが返済してくれることはありません。しかし、お金の世界での話で例えると、借金の返済にはいろいろな方法があります。二千万円の借金があったとして、身の自由を奪われて三年間、特殊な職業でただ同然で働かせられて返す場合もあるでしょう。また逆に普通の職種で働きながら二十年かけて、毎月、可能な範囲で返す場合もあるでしょう。過激で苦しい返済方法と、温和で実行のしやすい返済方法があるということです。神仏に愛される度合いが少ない人、つまり愚痴や不満や憎しみを捨てない人は、過激で苦しい返済になりがちです。しかし、生き方を改めて徳を積んで世のため人のために生きる人の場合は、神仏は返済方法を温和なものに変えてくださるのです。それは正しい生き方にめざめたからです。そもそも因果応報の法則は魂の進化のために存在しています。進化しようと前向きになると、恩赦がおこってくるのです。しかし絶対量はゼロになることはありません。大難が小難になるかもしれませんが、帳消しはありません。
カルマの負債を返すと開運していく
時間がかかるのは、過去に作り出したマイナスの自己規定がまだ作用しているのと、前世の借金がまだ残ってるからです。そこを有難く救済してくださるのが神仏のご加護です。それを受けるには、「生き方が神仏の御心に叶う」素晴らしいものになる必要があります。そうしていると、神仏の恩寵により、普通では考えられない速さで前世の借金は清算され、幸福サイクルに入ります。つまり何度も大変な試練や苦難が必ず来て、それでカルマが精算されるのです。そのとき神仏をうらまず、むしろ「これで精算された」と感謝して乗り越えることです。守られている人は、試練といっても必ず乗り越えられる形で来るし、ぎりぎりのところで守られるようになっているのです。試練もまた神仏の愛であり、魂が磨ける学びとして与えられるのです。ここを理解するのが本当の意味での『普遍的信仰心』です。日々善徳を積み、良き未来を創造するための努力をする、それだけで、「今」がだんだん楽しく、おもしろく、愛に満ちた環境になります。因果応報を加速させ理想実現する
【質問】「叩けよさらば開かれん」と、キリスト教でも教えています。それがひたすら祈る事、努力する事、望む事。それでも叶わぬのは祈りが足らぬから、努力が足りぬから、望み切れてないから、方向が違うから、あるいは、ただ試されているからなのでしょうか?
【回答】
それだけではありません。誰にでも、前世の負債というものがあります。そのマイナスのカルマがある程度、清算されないと、運勢は開きません。うまくいかない現状がある場合の多くは、まだ相当な前世の借金があるということです。前世で他人を傷つけ、苦しめたゆえに、そのあがないを今、受けているのかもしれません。この前世の借金は代わりに誰かが返済してくれることはありません。しかし、お金の世界での話で例えると、借金の返済にはいろいろな方法があります。二千万円の借金があったとして、身の自由を奪われて三年間、特殊な職業でただ同然で働かせられて返す場合もあるでしょう。また逆に普通の職種で働きながら二十年かけて、毎月、可能な範囲で返す場合もあるでしょう。過激で苦しい返済方法と、温和で実行のしやすい返済方法があるということです。神仏に愛される度合いが少ない人、つまり愚痴や不満や憎しみを捨てない人は、過激で苦しい返済になりがちです。しかし、生き方を改めて徳を積んで世のため人のために生きる人の場合は、神仏は返済方法を温和なものに変えてくださるのです。それは正しい生き方にめざめたからです。そもそも因果応報の法則は魂の進化のために存在しています。進化しようと前向きになると、恩赦がおこってくるのです。しかし絶対量はゼロになることはありません。大難が小難になるかもしれませんが、帳消しはありません。