不本意なことがあった時、どう考えるか

不本意なことがあった時、どう考えるか

前世療法の真の有益性は本人の人生を立て直ししていく効果にあります。人生全般を良い方向に変えていける大きなきっかけとなるのです。考え方を工夫して、物事の受け止め方を変えると、願望をかなえたり、理想を実現したりすることが加速されます。

理不尽な出来事は開運の前兆かもしれない


理不尽な目に会ったとき、不快感が心に生じるものです。しかし、それが自分のカルマの負債を返済したものだと知ると、自分の背負っていた重い荷物の中身が一つ消滅して、荷が軽くなってよかったなと考えるのが最善であるとわかってきます。それだけ開運に近づいた、それだけ幸福に近づいた、ということです。カルマの負債が多ければ多いほど、自己実現の足をひっぱりますから、それが減ることは、喜ばしいことなのです。若いときの苦労は買ってでもせよ、というのは、早く経験を積んで人間的に成長できると同時に、早く苦労をしたほうが早く前世の負債が精算できるので、運勢的に身軽になり、あとあと、理想の実現が容易になるという意味でもあります。理不尽な人、無礼な人、恩知らずな人、そして自分の考えだけを妄信している人、というのはどこにでもいるものです。その一人一人について、細かく検証して評価や批判をするときりがありません。

素晴らしい生き方をした人の足跡から学ぶ

むしろ、そのエネルギーを、人類の歴史上にいた偉人、賢人、義人の生き方を歴史本や偉人伝を通じて学び、その生き方を自分に取り込んでいくほうが有意義です。意識上にいつも浮かべているテーマが、悪人批判なのか、偉人への崇敬の思いなのか。のちのち、引き寄せるものが違ってきます。自虐史観といって、自国の歴史を暗黒に塗りつぶして批判し、その悪いところばかりを収集して、だから日本はダメなんだと、自分にも周囲にも言い聞かせたい人々がいます。歴史というのは見方しだいで、どのようにも見れます。良い面と悪い面をあわせもっています。それのどちらにフォーカスをむけるかです。それが、自分の人生の引き寄せを左右します。暗黒史観にフォーカスすれば、自分の個人的な人生もその種の暗黒の出来事が増えていくことになります。どの国の歴史にも二通りの見方があります。そのどちらをとるかです。

暗黒面ではなく光にフォーカスすることの大切さ

人類とは、地球という学校の仲間で、民族や国は、学校でいえば、クラスのような区分けです。どのクラスにも素晴らしさがあり、優劣つけがたいものがあるのです。国民とはクラスのメンバーのようなものです。しかし、どのクラスでも暗黒面ばかりに焦点をあてると、最低のクラス、最低のクラスメートという見方もできます。それが良い悪いではなくて、そういう見方をしていると、自分の個人的な人生の引き寄せも、悪い方に偏ってしまうのです。それで苦しみ、不幸を感じ、生きにくさを感じるのは自分です。自分の人生を喜びや感謝の多い幸せなものにするには、物事の良い面、歴史の良い面、人生や過去の良い面にフォーカスしていく訓練が必要です。意識の中で探し続けるテーマが、そういうプラスなもの、ポジティブなものになるように気をつけていきましょう。

ネガティブなものを探し求めると自己実現を妨げる

「心に思うことが実現する」「心に浮かべるものが引き寄せられる」「過去は変わらないが今と未来は変えられる」この不変の原則を日常の精神活動においてマスターしていってください。あなたをないがしろにした者について、怒りを感じることは無理もないと思います。その気持ちはわかりますが、それを意識に抱え込んでいることはあなたの幸せを阻害していくがゆえに、もう、手放すべきものであると気づいて下さい。いつまでも気になってしまう心の動き、それを見抜いて、良き方向性に導くことが理想の人生創造の鍵です。何事にも、その思考や感情を自分が抱くことでの、のちのちの影響を考えて「考え方の工夫」(これを『悟り』といいます)で、上手に乗り越えるようにしていきましょう。

最速開運法〜天に唾吐くと幸運が遠のく

愚痴、不平不満、悪口、泣き言は潜在意識へのマイナスメッセージ、負の暗示として作用して、さまざまな幸運を相殺してしまいます。もっとスピリチュアルな角度から、この意味を解き明かしますと、運命、天地神明、神仏、守護者、先祖などの目に見えぬ存在でも、師と友、親兄弟親戚縁者友人知人であっても、それらの存在と働きに対して、愚痴、不平不満、悪口、泣き言をぶつぶつ口にしてしまうと、何が起こっているかということです。神様などが守って下さっている神霊的なパワーは霊線とも呼ばれるように、細い糸のようなものです。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という小説はその「糸」を象徴的に教えてくれているお話です。そして、マイナスのつぶやきを言うと、その言った相手から来ている霊線の糸が切れてしまうのです。

愚痴や不平不満は天佑神助の糸を切ってしまう

神様に愚痴を言えば、神様からの糸が切れ、守護霊に愚痴を言えば、守護霊からの糸が切れ、師と友に愚痴を言えば、師と友からの糸が切れます。「金色の糸」が切れるのです。正負の正の側面と解離するのです。すると、自分の運勢を支えていた応援の力がダウンします。その結果、自分の持っている本来の因縁つまり因果応報をストレートに受けてしまいます。守られているガードが解除されて、攻撃がストレートに着弾します。しかし、これは天罰でも、たたりでもありません。自分の因果応報で自滅しているだけです。反対に、嫌いな人の悪口や愚痴を言うと、マイナスの波長でしっかりと「黒い糸」がつながってしまいます。「あからさまに他人の悪口を言う」とその相手の負の側面とますますつながりやすくなるということです。つまり、愚痴や不平不満は、天に唾吐いているのと同じなのです。自分の頭上にむかって唾を吐けば、自分の顔にべちゃっとかぶるのです。物事が自分の思い通りにならないと、つい愚痴が出ます。それをそのままにしていたら、運の悪い人です。この法則を知って、あえて「あからさまに言わない」ことが大切です。

アマテラスオオミカミの宣り直しとは?

そのことを教えているのが古事記の一節です。スサノオノミコトが天界にて乱暴を働いたとき、アマテラスオオミカミは、その行動をすべて、「宣り直し(のりなおし)」して良い解釈に言い換えました。これが「身のあやまちは宣りなおし、聞きなおし」という神道の思想の原典になっているわけですが、少しでも良い解釈に言い換えて、受け取り方を工夫したのです。愚痴や不平不満、泣き言、悪口を減らす修養のテクニックです。「天に唾吐くと幸運が遠のく」ことを意識すると、日々のつぶやきをチェックすることができます。人間というのは、思い通りに動いてくれないのが当たり前、自分の因果応報があるから、悪いことも起こるのが当たり前、という達観した気持ちが必要なことも多いです。意のままにならぬのは、すべて自分の前世のカルマの負債です。意のままになるときは、自分の前世の徳分です。カルマの負債とは向かい風であり、貯金(徳分)は追い風です。追い風ばかりのときは、愚痴も不満も少ないのはもちろんですが、多くの人の場合、人生とは向かい風の中を進んでいるものですそして、「金色の糸」とは、後ろからそっと押してくれているパワーです。そのパワーをしっかりとキープするためには、愚痴、不平不満、泣き言、悪口、そして自分へのダメだしをやめることを心がることが大切です。感謝、希望、前向きな受け取り方、自分への積極的な励ましを、自分の意識の中心に保つ努力が想念の管理ということです。なお、「向かい風」を減らして「追い風」を増やすには、善行を積んで己の徳分をどんどん増やせば良いのです。
久保征章の著書