医師によるヒプノセラピー・催眠療法・前世療法・インナーチャイルド療法|京都府八幡市「ヒプノセラピー研究所グングニルの工房」

生きがいとエゴ

「愛」と「エゴ」と「生きがい」について

生きがいは確かに大切なものです。しかし、生きがいだけを求める人生を至上の価値とすると、さまざまな問題がおこることもあります。哲学者カントは、人間として一番の価値は、
「義務をまっとうすることである」と主張しています。カントは、なぜ、義務を果たし、責任をまっとうすることが大事だと主張したのでしょうか。誰でも、自分の立場や役割があります。時に、人の上に立つ、あるいは人の親になる、という場面があります。


あるいは会社の経営者であるならば、従業員や取引先やお客様の幸せや満足が重要です。親であるなら、子を守る、育てる責務があります。そういった義務を果たし、責任を果たすのは、根底に「愛」があるからです。もし、自分の満足や生きがいだけを追求するなら、その行為は他者への愛に欠けたものになるかもしれません。どんな分野でもアマチュアからプロになったら、そのプロなりの義務や責任がともないます。


義務や責任を放棄して、自分の生きがいだけを追及すると、それが行き過ぎると、エゴイズム、利己心になる恐れがあるのです。これが究極の状態になったものが、「自己愛性パーソナリティ障害」です。この人格障害は、他者の気持ちや感情にまったく無頓着です。自分の満足や自分の生きがい、安全、自己満足だけがすべてなのです。ですから、平気で人の気持ちを踏みにじるし、平気で人の好意や愛情や善意を切り捨てます。


自分の満足感や安心感だけがすべてに優先するのです。完全なエゴイズムです。自分の生きがいだけを追求する生き方は、このような自己愛性パーソナリティ障害のごとき、行動様式に陥るリスクがあります。自己愛性パーソナリティ障害の親は、子どもを束縛したり、支配したり、コントロールしようとする傾向があります。このような親に育てられると、その子も自己愛性パーソナリティ障害の傾向を持ちやすくなります。


己の自由や生きがいだけを追求しすぎることは、このような弊害を生み出すこともあるのです。他者を愛したり、異性を愛したり、子を愛し育てたり、あるいは人類愛をもって社会に尽くしたり、そういう行為は、すべて愛があるからできるのです。そのとき、義務や責任が必ず発生しているのですが、それをまっとうできるのは、愛があるからなのです。仕事をすることや結婚し家庭をもつことなどが、魂の向上に非常に有益である理由は、そこに義務や責任がともなうからです。


もし、まったくの生きがい優先、自由優先でいけば、いかなる仕事も家庭も成り立ちません。「ありのままでいい」と自由奔放に生きれば、周りの人が苦しむこともあるのです。「わがままでいい」と勝手気ままに動くことで、多くの人を苦しめたら、その報いは因果応報で自分に戻ってきます。義務の中に愛を学ぶ道があるということです。カントのいったことの背景はこれです。


合気道では「万有愛護」の精神の習得を理想とし、少林寺拳法では「自他共楽」の精神の習得を理想としています。万有愛護とは、自分が守護者となり、自分の周囲を愛護する、つまり愛して護るという生き方をつらぬくことです。自他共楽とは、自分も他者も共に楽しく幸せである状態です。つまり、自分だけよければいいというものではないのです。そこに義務と責任が含まれていることがわかるはずです。もし、義務と責任を果たせない人がいるなら、その人は人様の幸せをどこかで妨害しているということです。


義務を果たさず、権利ばかり主張する人が問題視されますが、まず最初に、義務と責任を果たしていく人間性がベースにあって、そのうえで、自分の生きがいや、やりがいや充実感を求めていくのが順序であるといえるでしょう。親には親の、子には子の、夫には夫の、妻には妻の、兄には兄の、姉には姉の、弟には弟の、妹には妹の、義務と責任があるでしょう。会社員には会社員の、経営者には経営者の、30代には30代の、40代には40代の、50代には50代の、それぞれに自分の身の回りを見渡せば、誰でも何がしかの義務と責任があります。


生きがいの追求が過度に行き過ぎた場合の弊害が、「一歩間違うと、たいへんエゴイズムに満ちた、冷たい心の人間になりかねない」という部分です。「万有愛護」までいけなくても「自他共楽」までは、目指していかないと、神仏の加護に見放されるかもしれません。自由であればいい、好きに生きればいい、自分の生きがいとやりがいを追及しよう、これらの言葉は確かに正しく重要なものです。


けれども、そこには、「ただし、決して利他愛、人類愛を忘れない範囲内で」というただし書きがつくのです。日本国憲法でも「公共の福祉に反しない限り」として、人権を尊重しているのと同じくです。魂の観点からは、あなたが死ぬまでに、人様にどれだけ愛を尽くせたか、それが非常に重要な問題になります。誰かを愛してその人のために行動するとき、そこに愛ある行いが積まれます。これが善徳です。自由も生きがいも、愛があってこそです。自分を愛するだけでは、まだ半分です。誰かを愛して、その人のために生きる部分もあって、はじめて、完全な愛を、魂はまっとうできるのです。


 

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