令和の皇室

令和の皇室

令和の時代になり、皇室への関心が集まっていますが、皇位の継承についての正しい知識を持つ人は少ないようです。

なぜ皇位は男系継承なのか

催眠

2022年は皇紀2682年です。皇紀元年とは初代の天皇である神武天皇が即位された年であり、日本の建国記念日とは伝説上の神武天皇が即位された日を選んで定められています。その日に、奈良の橿原には神武天皇は初代の天皇陛下となられ、建国の詔を発せられました。国とは一つの家であり、百姓(国民)は大御宝(おおみたから)であるとの建国の詔です。令和の日本人にとって最大の責務の一つが、旧宮家からの男子皇族の復帰です。現在の皇室には皇位継承できる男性は三名しかいませんが、旧宮家には皇位継承資格があってしかるべき男性が120名も存在します。120名の中では、著名な竹田恒泰氏でも108番目の継承順位になるほどです。特に悠仁親王殿下の「またいとこ」にあたる男子が五名存在し、彼らは明治天皇の孫と昭和天皇の娘が結婚した子孫たちです。現在の皇族以上に濃く明治天皇の血を受け継いでいる方々です。彼らがなぜ皇籍離脱させられたか。それはGHQの圧力です。皇室を最終的に滅ぼそうとの画策で敗戦時のGHQの圧力で十一宮家が皇籍離脱させられたのです。皇族の数を減らせば、将来、断絶させることができるともくろんで、このような皇族追放がアメリカ占領軍によって強要された、わたしたちの悲しき歴史です。

ご存知のとおり天皇になる人は、父親を系図の上で順番にたどっていくと必ず第一代の天皇、神武天皇につながります。これが男系継承(父系継承)であり、126代のすべての天皇にあてはまる不文律です。そのため推古天皇や持統天皇などの女帝は在位中は独身を守り、子を産みませんでした。なぜならば、もし、その子が皇位に就けば、神武天皇に父系でつながらなくなるからです。明治時代になって、女帝に独身を強要できないので明治維新の元勲たちが男系男子に限ると定めたのです。ところが今また「愛子天皇待望論」をオールドメディアが書きたてて、事情を知らぬ国民をだまそうとしています。また一部の漫画家や似非皇室学者が、歴史の事実をねじまげた嘘を流布して情報戦を繰り広げています。男系継承は、ローマ方法が男性であるのと同様、祭祀王である天皇の伝統を守るための祖先の叡智です。それを現代人の浅知恵で壊してよいはずがありません。側室なしで男系継承は不可能だと主張する無知な人達もいますが、キリスト教国のため側室を持たぬフランス王室でも、複数の家が男系男子を出して、側室なしに800年間も男系継承を維持していました。フランス革命で滅ぶまで800年も維持していたのです。皇室も同じで十一宮家が皇族として残っていたら、今のような皇族減少問題は起こるはずもなかったのです。

令和の新天皇陛下の次は秋篠宮様であり、その次は悠仁親王殿下が皇位継承資格者として存在しているのに、ことさら、女性宮家を創設しようとする者たちの底意は、最終的な皇室滅亡にあります。現代において女性天皇を容認すれば、女性天皇が誰と結婚をするのでしょうか。結婚相手との間に生まれた子供が皇位継承したら、その天皇は父方を系図の上でたどっても神武天皇につながらなくなります。つまり、別の家系に皇室が乗っ取られたことになるのです。女性宮家創設とは、小室さんが、皇族になるということです。お正月の一般参賀で手を振る方々の中に入るということです。このようなことは歴史上、一例もありません。女性天皇はいましたが女系天皇は歴史上存在しませんでした。そして現代においては女性天皇を生み出すことはそのまま女系天皇を生み出すことにつながってしまうのです。明治維新の元勲たちが知恵をしぼり、わざわざ男系男子に限るとしたのは深い意味があってのことなのです。私たちがまずすべきことは、GHQの圧力で臣籍降下させられた旧宮家のうち、もっとも血筋が濃い数名の男子を現存する各宮家の養子にできるよう法改正をすることなのです。

下記をぜひお読みください。
パンフレット「女性宮家は必要ありません」
(URL、PDFファイル、印刷など色々とばら撒いてください。)



久保征章の著書