吉田松陰

吉田松陰

吉田松陰は幕末の人物で高潔な生き方をした偉人です。その足跡を学ぶことは魂を磨くことについて理解を深めてくれます。

吉田松陰とは〜魂を磨く、美しい生き方

催眠

吉田松陰とは松下村塾を開いて維新の志士を教育した人。幕末の教育家として知られている長州の人物です。その生涯は短く、29年間しかこの世にいませんでした。


最後は、井伊直弼の安政の大獄によって死罪にされ、首を切られて死にました。吉田松陰の志は、潰えたわけですが、吉田松陰が松下村塾で教えた弟子たちが、吉田松陰の志を受け継いで、明治維新を成し遂げました。


吉田松陰は、死後、山口県の萩の松陰神社に祭られています。山口県の明倫小学校では、吉田松陰の言葉を全校の生徒が音読して道義心を学んでいます。小学校一年から六年まで、それぞれ一学期、二学期、三学期と、音読する章句を定めています。


たとえば、五年生の一学期に音読している言葉は、

「誠は天の道なり 誠を思うは人の道なり 至誠にして動かざる者は 未だ之れあらざるなり 
誠ならずして 未だ能く動かす者はあらざるなり」


たとえば、三年生の二学期に音読している言葉は、

「志を立てて もって万事の源となす 書を読みて もって聖賢の訓をかんがう」


山口県萩市の明倫小学校は、昭和56年(1981年)より、毎朝、朝の会の時にこういった吉田松陰の言葉をクラス全員で音読をしているのです。こうした音読によって子供たちの道義心が高まり、立派な人徳ある人間に育つことは間違いありません。


吉田松陰は山鹿流兵学師範の吉田家を継いだため、兵学者としての道が吉田松陰には約束されていました。しかし、江戸に出て山鹿素水や佐久間象山に経学や兵学を学んで、志を大きくしますが、藩から許可を得ないまま東北を遊歴したことを咎められて士籍を削られてしまいます。


安政1(1854)年3月下田に停泊中のペリーの艦隊に小船でこぎつけて、海外渡航を交渉しますが、拒絶されたため、自ら幕府に自主し、結果的に萩の野山獄に投獄されてしまいます。釈放された後に松下村塾を開いて、高杉晋作や久坂玄瑞や山県有朋や伊藤博文といった若者を教えています。


それらその門下生が、吉田松陰の死後、明治維新を実現し、富国強兵、廃藩置県を推し進めて、日本を中央集権化して、欧米列強の侵略の圧力に対抗して日本国を守る道を開いたのです。


やがて安政の大獄により、吉田松陰は幕府に身柄を拘束されて処刑されますが、その直前に書いたのが、「身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留め置かまし大和魂」の句から始まる『留魂録』という遺作です。


吉田松陰の足跡を分析すると、29年の短い人生の中にやることなすことすべて失敗しています。それでも吉田松陰は義のために邁進し、くじけることがありませんでした。事の成就するかしないかという問題よりも、吉田松陰が大切にしたのは、人生において義をまっとうすることであったのです。


吉田松陰の残した言は数限りなくありますがその中でももっとも、重要な言葉がこれです。

「皇神(すめがみ)の誓(ちか)ひおきたる国なれば正しき道のいかで絶(た)ゆベき」


これは安政六年十月十一日に堀江克之助にあてた書簡の中で出た言葉です。意味は、「天照大神が天壌無窮の神勅でお誓いになったのが日本という国であるから、正しい道が絶えることなどありはしない」というものです。吉田松陰は、神道の研究もしており、論語や孟子だけの人ではありません。日本において皇室がもっとも重要な存在であることを早くから見抜いていたのです。


そして、皇室をお守りし、欧米列強の侵略から日本を守り、国民を救うためにどうすればよいのかを考えていたのです。富国強兵によって国力をつけて、周辺国を従えていくことで欧米の侵略から日本を守ることができると考えていました。その基本概念は、明治維新にそのまま受け継がれています。明治時代の日本が推し進めた政策や外交のあり方は吉田松陰の思想がベースになっているといってもよいのです。


吉田松陰と並ぶほどの賢者として、当時、知られていたのが橋本左内です。福井県では、橋本左内の事跡を学び、橋本左内の著書「啓発録」を小学生が学んでいます。山口県の吉田松陰についての教育や福井県の橋本左内についての教育は、これら郷土の偉人の足跡を学ぶことが、いかに子供の道義心を育てるかを私たちに教えてくれています。


今の日本の国の最大の問題は教育の乱れです。道徳や日本の伝統文化を大事にしていません。このような教育では素直で道徳的な子供が育つことはありえません戦後続いてきた悪しき流れを断ち切り、日本の子供たちを救うためにも、今こそ、吉田松陰や橋本佐内の教えを全国の小学校や中学校において、学びなおす必要があるのではないでしょうか。


どこの都道府県でも、こうした偉人というのは存在しています。滋賀県であれば、近江の聖人と歌われた中江藤樹がいます。和歌山県であれば、科学者の南方熊楠や合気道の開祖、植芝盛平がいます。どこの県でも、何人かは必ず偉人がいます。


偉人の足跡を小学校や中学校の授業で学ぶことを必修化して、祖先の偉業と子孫を結ぶ道徳教育をすることが大切です。そうすることで、日本民族の連続性が意識化されて、子供の中に道義心の萌芽が育つのです。歴史や伝統文化と切り離された道徳授業を続けてきた人たちの手からもう一度、教育を取り戻し、日本の次世代を担う人材を育てる松下村塾のような学校教育を再興したいものです。


吉田松陰の事跡を学べば、その処方箋がわかってくるのです。今では廃れてしまっている「教育勅語の教え」をもう一度、学校教育の中に取り戻し、子供の志を育てることが大切です。

セラピー
久保征章の著書