固定観念が人生を縛っている

固定観念が人生を縛っている

運勢が行き詰ったり、脱皮できない最大の原因は、古き自己の殻に閉じこもり、新しく生まれ変われないことにあります。

自分の作った固定観念が自分の人生を縛っている


人は誰でも、小さな自分の観念に縛り付けられ、幸運の引き寄せが妨げられています。運勢が行き詰ったり、脱皮できない最大の原因は、古き自己の殻に閉じこもり、新しく生まれ変われないことにあります。新しく生まれ変わるには古い自分が死ななければなりません。古い自分を捨てて、新しい自分を生み出すということです。これがなかなかできないのが人間です。皆、どうしても過去からの歩んできた思い出や身の回りの人に言われた言葉に縛られています。どうしたら、この固定観念を打破できるのか。それは、学問の力しかありません。特に重要なことは偉人の足跡を学ぶことです。人類史上に残された数々の偉人伝とは、神様から私たちへのプレゼントであり、そこには自分の小さな殻をぶちやぶる秘伝が満載なのです。

歴史に学ぶことで人は限界を超える

歴史上の偉人の考え方や行動や決死の冒険、必死の努力の姿を学ぶと、現実の己がいかに小さいか。いかにくだらない観念にとらわれているか、わかるのです。親に言われた言葉、友に言われた言葉、周囲の言葉、そんなものにとらわれている人がいますが、まったく愚かしいことです。歴史上の偉人と比べ、彼らがどれだけ立派だというのでしょうか。弘法大師や聖徳太子やマザーテレサと比べて、身の回りの先輩や親がどれだけ立派だというのでしょうか。自分の中からひねり出した負の考えなど、愚かなものでしかありません。自己のマイナスの思い込みを早く捨て去ることです。そのためにも偉人の足跡を学んでみましょう。それが学問の力というものなのです。学問の力は、自分の前世からの悪影響や先祖からの悪影響を断ち切る力ともなるのです。「引き寄せには前世など関係ない、先祖など関係ない」といった主張をしばしば見かけます。しかし、引き寄せの法則が原因と結果の法則である以上、未来を作り出すその法則は過去からも作用している、と、理解するのが自然ではないでしょうか。今の原因が未来を創るのだとしたら、過去の原因が今を作ったのです。私たちはある日突然宇宙に出現したのではないのです。生まれ変わりながら、この世にやってきています。そして、肉体の中に宿れば、肉体は祖先の血脈を引いています。お盆の時期、体調が悪い、気分が落ち込むという方は、この機会に正しい先祖供養を実践してみませんか?

どんな国や家に生まれるかは前世の結果

自分はなぜ、日本に生まれたのだろう。この両親の元に生まれたのだろう。そんなことを考えたことはありませんか?人はすべて前世の行為の結果に相応しい所に生まれ変わります。人を幸せにした行為がプラスのカルマ、貯金であり、人を不幸にした行為がマイナスのカルマ、借金です。カルマ的な貯金と借金を誰でも持っているのです。その点数にぴったりの国、土地、親に生まれます。たとえば、裕福な富豪の子に生まれると、不労所得で遊んで暮らせるかもしれませんが、それは前世で自分が他者に対して施した結果です。労せずして得られる富や幸福はすべて前世の貯金おろしなのです。また、不意のトラブル、不測の苦難、これは、前世の借金の返済として現れたものなのです。親から受ける苦悩は、前世で自分が同様のことを誰かにしていたものが戻ってきたのです。親から受ける豊かさや愛は、前世で自分が同様のことを誰かにしていたものが戻ってきたのです。

積善によって善徳を増やせば幸せも増える

日本のように福祉制度が整った国に生まれて、その福祉を受けている人々もまた、裕福な親の元に生まれた人と同じで、自分の前世の貯金おろしをしているだけです。前世の貯金がない人は、日本のような国には生まれることはできず、福祉制度の整わない国の貧しい暮らしをする人として生まれます。その意味で、日本に生まれているというだけでその人はある程度の前世の貯金、徳分があると言えます。もちろん借金、悪劫もあるのでその分は苦悩となりますが。私たちが生まれてくる目的は、魂を磨いて能力を高め、新たな貯金を作ることで自分を成長させるためです。ですから、福祉制度のお世話になりっぱなしでは生まれてきたテーマを充分には果たせません。それだと貯金のくいつぶしで終わってしまいます。豊かな親の遺産をくいつぶして、遊惰安逸に一生を終える愚かな子供と同じようなものです。一時、福祉制度の助けを借りることが、たとえあったとしても、人生の目標としては、たえず、自助努力で独立した人生をめざしていくことが重要です。達成できるかできないかは別として、その方向性で努力すれば、自然と魂が磨かれ、進歩向上できるので生まれてきた目的がおのずから果たせるのです。

どのような環境にいても積善をする道がある

福祉のお世話になるだけで一生を終える場合、自分の能力向上の努力が不十分になるがゆえに、「怠りの罪」を結果的に侵してしまう可能性があります。それを避けるためには、リハビリや、技能訓練や、農作業や、ボランティア活動などのなんらかの社会活動にできるだけ参加して、善徳を積むことが大切です。社会のため、誰かのために、奉仕を行う要素を暮らしの中に持っているかどうかが重要です。引きこもっているよりはコンビニでアルバイトするほうが魂の向上を考えると理に叶った道だということなのです。「怠りの罪」とは、持って生まれた能力を世のために活かさず、人の役に立てず、伸ばしたり磨いたりしなかったという罪であり、魂にとっては最悪の行為となります。なぜなら、魂は進化するために、自己を練磨して向上させるために生まれてきているからです。どんな障害があろうと、どんな欠点があろうと、どんな未熟であろうと、どんな病気であろうと、すべての人の魂は、進化を望んで生まれてきています。そして誰でも、今いる場所で、できることがあります。そのできることをして、人生をより良くする努力こそが、あなたの人生に幸せや喜びごとを引き寄せるのです。
久保征章の著書